Stories Vol.6|閉店の知らせから2ヶ月で“居場所”を引き継いだ。ライブハウスを「地域の文化カフェ」にする人 第1章——閉店から始まった事業継承
豊中曽根、阪急沿線の街に、音楽が集まる場所がある。
夜はライブ、昼はサークル。扉の向こうでは、年代も目的も違う人たちが同じ空間を共有している。
ここは、ライブハウスであり、コミュニティスペースでもある。
店主はシンガーソングライターの 大橋右京さん。
閉店の告知をきっかけに、わずか2ヶ月でこの場所を引き継いだ。
「一回来てみて」。その言葉の裏には、つながりに救われてきた人の実感がある。
「地元でワンマンがしたい」から始まった縁
──以前、右京オーナーの事業継承の記事を拝見して、「マワリミチ」のコンセプトにもピシャリとはまると思い、今日はお伺いしました。
世代交代は、ある意味タイムリーな社会問題で、「実際どうなの?」と思っている方も多いと思います。
今日は、そのリアルなところも含めてお話を伺えたら嬉しいです。
──まず、このお店との出会いから伺えますか。
右京さん:
自分がシンガーソングライターとして活動し始めて、丸5年の節目で「地元の豊中でワンマンライブがしたい」と思ったのが最初です。
今は豊中の各駅にライブスポットが増えてきてるんですけど、当時はまだ少なくて。ライブハウスで検索しても、そんなに出てこなかった。そこでヒットしたのがここでした。
──豊中が地元なんですよね。
右京さん:
そうです。自分は豊中生まれなので、地元でライブしたい気持ちが強くて。
ライブ終わってからも、イベントに呼んでもらったり、僕が主催してる街おこしの音楽イベントのポスターを貼らせてもらったり。頻繁に通うというより、やりとりが続いていく感じでしたね。
「東京へ行かなかった理由」──地元に根を下ろすという選択
──お店を引き継ぐという決断には、いろいろな背景があったと思います。
なぜ「ここを引き継ごう」と思われたのか、改めて教えてください。
右京さん:
地域密着で活動しようと思ったきっかけは、大学卒業後の数年間にあります。
卒業してから2年ほど、着物の販売の仕事をしていました。
でも、やっぱり音楽をやりたいという気持ちが強くて、その仕事は辞めたんです。
当時は「東京に出て音楽活動をしたい」という思いがすごくあったんですが、
ただ、そのタイミングで父親のガンが発覚して、「家にいてほしい」みたいな感じになって。
でも、次第に「地元・豊中にどっぷり腰を据えて活動するのも、逆に面白いかもしれない」と思うようになったんです。
地元で知らない人はいなくらいのミュージシャンになれたら、そこから大阪、全国へと広がっていく、
そういう“ステップ”として豊中で頑張って拠点を広げていきたいと思っていたところこのお店にもたどり着きました。
「閉店」の投稿を見て、動き出せた
──そこから、引き継ぎに至るわけですよね。決め手は何だったんでしょう。
右京さん:
コロナに入って、身近なライブハウスが閉店するのも見てきました。
そんな中で、ここが「閉店します。引き継いでくれる人いませんか」ってFacebookで投稿しているのを見ました。
このお店はすごく素敵な空間で、自分が生まれた街で最初のワンマンライブをやった思い入れのある 場所で、閉店になるのがすごく寂しかったんで是非やりたいと思いました。
また、自分もその頃、非常勤の仕事をしながら音楽活動してた生活で、ある意味、動き出せる状況だったんですよね。
タイミング的にも…僕自身が「どう生きていくか」悩んでた時期だったんです。
──悩んでいた、というと。
右京さん:
29歳くらいの時かな。非常勤を続けながら音楽を続けるのか、正規で仕事に就いて音楽をやっていくのか。
でも組織とか会社みたいなところが、あんまり得意じゃないというか…自分らしくいれない感じがあって。
だから、自分のアイディアを生かして個人事業ができないかなみたいなのをぼんやり考えてたんです。
でも何かスキルがあったわけでもなかったので、どう生きていこうかなと悩んでいました。
そんなタイミングでここの閉店発表があって、「これはもう、やれってことかな」って思ったんです。
──拠点を持つことになって新しい挑戦ですね
そうですね、自分も音楽を続けていきたいというのもあるし。プレイヤーとして音楽をやっている方の目線でお店ができるのは強みだと思ったんです。
引き継ぎ準備は2ヶ月。まず職場に「辞めます」と言った
──引き継ぎの段取りって、具体的にどんな感じでした?
右京さん:
2021年の4月にその閉店が発表されて引き継ぐんだったらすぐに始めないといけないとなって、1、2ヶ月で準備したんです。
まずは職場に辞めるって言いました。そこは受け入れてくれて。
そこから資金の問題が出てきます。空間はあるし、機材もそのまま使わせてもらえる部分もあったんですけど、改装資金とか手続き関係で、200万円以上はいったんです。細々したの合わせると、ざっくり255万…そのくらい。
──結構リアルな数字ですね。
右京さん:
貯金がめちゃくちゃあったわけじゃないので、クラウドファンディングを立ち上げました。
campfireを使って。コロナ禍に配信イベントをやった時もクラファン経験があったので、立ち上げ方とか審査のポイントとかは少し頭に入っていて。
お店の宣伝にもなるし、これはやるしかない、って。
──他にも準備が?
飲食もまったくやったことないので、お酒の作り方とか、ビンビールの開け方すら分からなかった(笑)。
YouTube見たり、食品衛生の資格取ったり、保健所行ったり、改装の手続きだったり。そういう細かいことも2ヶ月くらいでやったという感じです。
合計で157万円「居場所がなくなるのが寂しい」人たちが支えてくれた
──クラファンは、目標200万に対してどうだったんですか?
右京さん:
合計で157万円くらい集まりました。
もともとお店のファンもいらしたし、僕のつながりの方も応援してくれました。
僕が引き継いだ時点で、お店としてはもう14年くらい続いていて。だから「ここがなくなるのは寂しい」と、ここを居場所にしてくれてた方々にすごく応援してもらえました。
ただ、割とご高齢の方も多くて、「クラファンのやり方がわからへん」というのもあるので、直接の寄付みたいな形も取りつつでした。
200万円はどこに消える?「最初にドカンと要る」テナントの現実
──元々綺麗な空間だったのかな?というイメージがあります。200万って、何に一番かかるんですか?
右京さん:
専門用語かわからないけど、テナント料…初期費用が大きいです。
仲介手数料とか、前家賃とか、最初にドカンと要る部分。
オーナーさんにも「だいたいこれぐらい必要」って事前に聞いてて、「じゃあクラファンやります」ってなりました。
──迷いがなかったのは、経験値があったから。
右京さん:
ノウハウがあったのは大きいです。やるっきゃねえ、って(笑)。
ジャンルの変化と「昼も動くライブハウス」という強み
──ここは、もともとどんなジャンルの音楽が多かったんですか?
右京さん:
引き継ぐ前から、ゴスペルのサークルが2つほどありましたね。
あとは持ち込み企画でのバンドイベントや、ジャズの方が来られたり。
年齢層としては比較的高めで、
洋楽のオールディーズや、ビートルズ、ベンチャーズといった
往年の名曲を演奏される方が多かった印象です。
──そこから、少しカラーが変わった部分もありますか?
右京さん:
そうですね。
僕自身は弾き語り界隈で活動していて、フォーク世代の方とのつながりはあったんですが、
オリジナル曲をやっているミュージシャンとの縁も多かった。
もともとは、そういう方はあまり多くなかったので、
引き継いでから少しずつ色は変わったかなとは思います。
ただ、基本は「オールジャンル歓迎」。
音楽であれば何でもやってほしい、というスタンスです。
──確かに、機材を見ても何でもできそうな印象があります。
右京さん:
そうなんです。
だから、ジャンルのギャップはそこまで不安ではなかったですね。
僕自身、いろんなライブハウスやライブバーに行ってきたので、
「どういう営業の仕方をすればいいか」
なんとなくイメージはできていました。
ただ、正直な話をすると、このエリアのライブバーの中では、家賃は結構高い方だと思います。
他のお店と同じペースでやると、正直しんどいな、という感覚はありました。



Live Cafe ARETHA のオーナー右京さんのマワリミチリンク

