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まわり道の中にある“リアルな想い”を届けるインタビュー企画。 地域で活動する人、イベント主催者、小さなお店、NPO、アーティスト、個人で挑戦する人など、 それぞれの人や場所が「歩んできた道」を取材しご紹介します。 うまくいかなかったこと、迷い、出会い、転機——。 そんな“途中の物語”にこそ、その人らしさが詰まっています。 読む人が「こういう生き方もいいな」「私もやってみよう」と思えるような、 等身大のストーリーを記録していく企画です。

Stories Vol.4|「ベースが鳴るカウンター」──演奏家が創る“音楽家のための場所”。下新庄の隠れ家ジャズバー前編

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Stories Vol.4|「ベースが鳴るカウンター」──演奏家が創る“音楽家のための場所”。下新庄の隠れ家ジャズバー前編

阪急下新庄駅から路地を抜けた先に、木の扉と静かな灯りがある。 ジャズバー Mellow Tone。 入り口のすぐ左手にはアップライトベース、ドラム、ピアノ、ギターアンプ。 ここは、ベーシスト三橋さんが10年以上続けてきた“音の場所”だ。 静かな語り口だが、話される内容には一貫して「音への探究」がある。 まずは、彼が演奏者としてどのように音楽と向き合ってきたかを聞いた。 楽器との出会いと“左手への決断” ──まず、楽器との出会いから伺えますか。 三橋さん: ビートルズが好きで、コピーバンドでベースを弾いていました。 ──ポール役だからレフティーなんですか? 三橋さん: いや、生粋のレフトプレーヤーです。 最初は右利き用のギターから始めて、1年練習していたんですけど、リズムが合わないというか、どうしてもピッキングの“ジャスト”が合わなくて。 ──リズムがしっくり来ない? 三橋さん: はい。抑える方は、なんかこうスムーズにいっていたんだけど、オルタネイトピッキングがどうやっても合わない。 アジャストする方のリズムは繊細さがいるから、“これは利き手じゃないからやろな” と思っ

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Stories Vol.3|「僕が生きて証明したい」── “子どもが孤立しない社会” 施設出身の若者が挑む、社会を変えるNPOの挑戦 後編

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Stories Vol.3|「僕が生きて証明したい」── “子どもが孤立しない社会” 施設出身の若者が挑む、社会を変えるNPOの挑戦 後編

Stories Vol.3|「僕が生きて証明したい」── “子どもが孤立しない社会” 施設出身の若者が挑む、社会を変えるNPOの挑戦 後編保育の道へ──学生とNPO理事長、二つの顔 ── 保育学校にはいつ入学されたのですか? 川村: 「2024年度に入学しました。 日中は保育学生として学びながら、 実習での経験や授業で学んだことを活かして、 自分で子ども食堂や親子向けのイベントを企画するようになりました」 ── そこから、任意団体、そしてNPO法人の立ち上げへ。 川村: 「2024年度の1月に、まず任意団体として活動を始めました。 活動を続ける中で、神戸市主催の交流会に参加したんです。 そこで、すでにNPO法人として活躍している方々の話を聞いて、 “やっぱり法人格があると、行政や地域団体と連携しやすいんやな” と強く感じました」 ── 学生で活動していると、難しさもあった? 川村: 「ありましたね。何かあったときに、 “保育学生”ということで学校へ連絡が行ってしまうこともあって。 “自分たちの活動は、自分たちで責任を持ちたい” “自分たちの看板で勝負したい” という気持ちが強くなりまし

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Stories Vol.3|「僕が生きて証明したい」── “子どもが孤立しない社会” 施設出身の若者が挑む、社会を変えるNPOの挑戦 前編

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Stories Vol.3|「僕が生きて証明したい」── “子どもが孤立しない社会” 施設出身の若者が挑む、社会を変えるNPOの挑戦 前編

さまざまな家庭の境遇にいる子どもや若者に、「自分にもできる」と思ってほしい。 神戸市兵庫区を拠点に、そんな思いで走り続ける青年がいる。 NPO法人「心の絆」代表理事・川村功(カワムラ イサオ)さんだ。 子どもが孤立しない居場所づくりをテーマに、 子ども食堂や地域イベント、親子向けの企画を仕掛けている川村さんに、これまでの歩みと、これからの挑戦について聞いた。 “家庭”を知らないまま育った幼少期 ── まずは、自己紹介をお願いします。 川村さん: 「はい。NPO法人『心の絆』の理事長をしています。  普段は保育学校で学びながら、子ども食堂や地域イベント、親子向けの企画など、地域資源や高校、児童館と連携した活動をしています」 ── 保育の道を選んだ理由は? 川村さん: 「僕、児童養護施設の出身なんです。  小5から高3まで、高知県の児童養護施設で暮らしていました。  だから、いつか“あの頃の自分みたいな子”を支えられる大人になりたいと思って、保育を学ぼうと決めました」 ── 施設に入る前の生活は、どんな様子だったのでしょう。 川村さん: 「父親のことは知らなくて、気づい

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Stories Vol.2|我巣灯 豊中に明かりを灯す老舗のジャズバー

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Stories Vol.2|我巣灯 豊中に明かりを灯す老舗のジャズバー

阪急豊中駅から少し歩いた先の一角に、ぽつりと灯る明かりがある。 43年よりも前から、変わらない場所で夜ごと音が流れてきた。 その店の名は「我巣灯(がすとう)」。 マスター・誠さんが、今日も静かにカウンターに立つ。 ──43年。長いですね。最初から音楽のお店として始められたんですか? 誠さん: 音楽のお店かどうかというのはわからず、すでにジャズライブをやっていたところに雇われて入りました。 当時は別の店長もいたけど、1年ほど経った頃に、そのまま引き継ぐという形でしたね。 飲食店の経験はあったので、そこそこノウハウはあったかもしれないけど、24歳、まだ“クソガキ”ですわ(笑)。 ──若い頃からお店を任されて、ライブのブッキングなど大変なことも多かったのでは? 誠さん: そうですね。でも当時はブッキングは豊田さんがやってくれてて、本当に助けられましたね。 ※豊田晃(1949–2016)──ジャズドラマー。 1984年にリーダー・アルバム『弁慶』(Sound Design)を発表し、 サックス奏者 Joe Lovano らとも共演した。 弁慶 (豊田晃のアルバム)

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Stories Vol.1|隠れ谷 60歳、300万円で始めたミュージックバー──“定年”の先に見つけた音楽の居場所 後編

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Stories Vol.1|隠れ谷 60歳、300万円で始めたミュージックバー──“定年”の先に見つけた音楽の居場所 後編

Stories Vol.1|隠れ谷 60歳、300万円で始めたミュージックバー──“定年”の先に見つけた音楽の居場所 前編会社員としてのキャリアを終えた60歳、音楽への想いを形にした店主さん。 「世界旅行に行ったと思ってほしい」──そんな言葉から始まった、第二の人生 神戸・三宮のオープンマイクバー「隠れ谷」オーナーの清水さんご夫妻に開業に至る経緯から今までの道のりをインタビューしました。 ──よろしくお願いします。noteの「60歳からの飲食業開業記録」を拝見させていただいて、大変感銘を受けました。今日は何かnoteにはなかった思いやエピソードも引き出せたら嬉しいと思います。定年後の人生にはいろんな選択肢がありますよね。どうしてお店を始めようと思われたんですか? オーナー: いや、それがね、もう40歳ぐらいのときから考えていたんです。 「老後」っていうのはちょっと変ですけど、社会人を終えたら次は何かしないとあかんやろなと。 当時、早期退職の話題なんかも出ててね。ダイヤモンドの記事で読んだりして、「いつか自分もそうなるかも」って。 で、60歳になったらどうするかをぼんやり考えたとき、頭に

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Stories Vol.1|隠れ谷 60歳、300万円で始めたミュージックバー──“定年”の先に見つけた音楽の居場所 前編

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Stories Vol.1|隠れ谷 60歳、300万円で始めたミュージックバー──“定年”の先に見つけた音楽の居場所 前編

会社員としてのキャリアを終えた60歳、音楽への想いを形にした店主さん。 「世界旅行に行ったと思ってほしい」──そんな言葉から始まった、第二の人生 神戸・三宮のオープンマイクバー「隠れ谷」オーナーの清水さんご夫妻に開業に至る経緯から今までの道のりをインタビューしました。 ──よろしくお願いします。noteの「60歳からの飲食業開業記録」を拝見させていただいて、大変感銘を受けました。今日は何かnoteにはなかった思いやエピソードも引き出せたら嬉しいと思います。定年後の人生にはいろんな選択肢がありますよね。どうしてお店を始めようと思われたんですか? オーナー: いや、それがね、もう40歳ぐらいのときから考えていたんです。 「老後」っていうのはちょっと変ですけど、社会人を終えたら次は何かしないとあかんやろなと。 当時、早期退職の話題なんかも出ててね。ダイヤモンドの記事で読んだりして、「いつか自分もそうなるかも」って。 で、60歳になったらどうするかをぼんやり考えたとき、頭に浮かんだのはもう“音楽”しかなかったんですよ。 「音楽しかなかった」40代からの準備 ──40代

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